幸福は日々の中に。

監督:茂木綾子 ベルナー・ペンツェル

2016年製作|ドキュメンタリー|日本語|カラー|73分|監督・脚本・撮影:茂木綾子 、ベルナー・ペンツェル|録音:ウエヤマトモコ|編集:茂木綾子、フリッツ・バウマン|音楽:福森伸、フレッド・フィリス(タイトル音楽)|演奏:ott&orabu、フィリス(タイトル音楽)|製作:一般社団法人サイレントヴォイス、werner penzel film production|プロデューサー:芹沢高志、相澤久美、ベルナー・ペンツェル|配給:一般社団法人サイレントヴォイス|宣伝:佐々木瑠郁|助成:文化庁文化芸術振興費補助金、日本財団|(c) 一般社団法人サイレントヴォイス、werner penzel film production

NEWS最新情報

2019年7月 大阪上映決定

7月13日(土)に、三カ所での上映が決定いたしました。夜の上映は、監督のトークショーも予定しています。

About作品紹介

改めて自らを見つめ直す73分。

園生が楽器を弾き、叩き、叫ぶotto&orabu、ひたすら布と糸と遊ぶnui project、そして魅力に溢れた多様なクラフトワーク。美しい園内には、アトリエに加えて、カフェレストラン、ベーカリー、蕎麦屋が点在し、今日も園外からのお客様が引きも切らない。ここには、これまで私たちが見たことがない風景が広がっている。2014夏に開催された東京都美術館の展示における衝撃はいまだ記憶に新しい、鹿児島しょうぶ学園。きれい事ではすまされない福祉事業の運営において、しょうぶ学園が取り組んできた活動は、今を生きる私たちにさまざまな問いを投げ掛ける。普通ってなに?優しさってなに?90年代に伝説となったインディペンデント映画『ステップ・アクロス・ザ・ボーダー』を制作したドイツ人映像作家ヴェルナー・ペンツェルと、『島の色静かな声』(08)を制作し、写真家でもある茂木綾子による共同監督作品。

Storyあらすじ

「幸福は日々の中に。」ありのままでいられる場所「しょうぶ学園」

−ありのままでいい、何も学ばなくていい−

鹿児島マルヤガーデンズの屋上で、知的障がい者施設しょうぶ学園のバンド「otto & orabu」の演奏を見た瞬間、この人たちの映画を撮りたいと思った。

20人以上の怪しげで派手な衣装とメイクを塗った人々は、障がい者とその施設の従業員の混合の楽団だった。ザワザワと潜在意識に強く響いてくる、不揃いで不可解、でも楽しげで爆発するような音楽は、雨降る屋上のじめじめした空気を吹き飛ばすかのように、大きな疑問符を見る者の心に投げかけていった。
それ以来二人は鹿児島へ何度も通い、しょうぶ学園の世界の中に少しずつ融け込み、カメラを回し続けた。外から訪ねる人の目線ではなく、障がいを持つ彼らのあたり前の目線を見つめながら。

中庭で、来る日も来る日も一本の木の側で、しゃがみこんでどこかを見つめ続けるたけしくん。カメラをひたすら向け続けても全く気にしない。気持ちのいいカフェテリアでごはんを食べる様子も、皆人それぞれ。誰も自分を人と比べるということがない。刺繍工房で糸と布と戯れ部屋中を埋め尽くす吉本さん。彼には目的もゴールもない。ただただ永遠の今の中で、布を小さく切り取り、糸を並べて、満ち足りている。紙の上から椅子から机から、床も壁もペンキで四角い升目を描き続ける濱田さんもまた、何年も同じスタイルで毎日毎日升目を描き、その迷いの無い筆さばきは完璧な巨匠のそれだ。木工所では、みんなトンカントンカン好きなように掘って掘って掘りまくり、ニコニコ顔の中野くんはボタンの詰まった箱を来る日も来る日もぐるぐる回し続ける。

そんなしょうぶ学園を生み出し、守り支え続けてきた福森家の人々。現在の学園長福森伸さんは、長年彼らに寄り添いながら、常に自分自身のあり方に疑問を抱き続けてきた。
「僕たちは、彼らに社会の秩序というものを教える立場ではない。彼らから精神的な秩序を学ぶべきだ。やらなければならないことは、彼らが安全に歩ける道をつくることである」と言う。

私たちがどんなにがんばっても辿り着けない、真の自由と幸福に、彼らはいる。そのままいる、永遠の今の中で。このしょうぶ学園にいると、まるで未来の世界にいるかのような錯覚に襲われるのは、ここが、私たちがいつか辿り着きたい永遠のふるさとであり、あの不思議な音楽と共にキラキラとその姿を惜しみなく見せてくれるからなのだろう。

Trailer予告篇

Director's Noteディレクターズノート

心地よい不揃い

「本来、音楽では「不揃い」や「ズレ」は好ましいものではありません。しかし、「はたして揃うことがすべて美しいことだろうか」と問いかけてみる と、見えている世界には、実は見えていない別の可能性があることに気づきます。それぞれの人が違うから、美しいのであって、中身の違いがあるからそれを認 め、合わせることができるのです。健常者の特性である「揃えること」が過剰になればなるほど障がい者と離れていくのと同時に 彼らは頑強に「ズレること」を守っているようにも感じます。そこに魅せられ、私たちは、不揃いの音のバランスの良い配置を模索しています。大事なことは、 彼らの不揃いの音が無理に主役になることなく、心地いいと感じる音が生まれてくることです。そして、純粋にズレた彼らの音とコラボレーションすることに よって、新しい発見の場としてottoの活動は思いもかけない視点を私たちに気づかせてくれると思います」(福森伸)

otto & orabu という楽団の指揮者であり、この楽団を支える障害者支援施設「しょうぶ学園」の学園長でもある福森伸さんが語る通り、otto & orabuの生み出す音楽は、見かけは障害者という異質さを持ちながら、溢れ出る自由さと音を出すことへの純粋な喜びに漲るパワーで、強烈な衝撃を観たも のに突きつける。

「しょうぶ学園」では、音楽以外にも、いろいろな創作活動がある。テキスタイル工房、陶芸工房、木工工房、和紙工房、パン工房、カフェやそば屋などの仕事 場があり、利用者と職員が共に刺激や影響を与え合いながらすばらしい作品の数々を日々生み出している。学園のポリシーとして、職員達は決して指導するとい う姿勢をとらない。障がいを持つ人たちは、他人の意図や意志に合わせることができないだけであり、それを少しでも上達させ、“社会”に合わせられるように してあげたいと思うのは、健常者の思いであって、彼らの思いではない。彼らの一人一人が持つ個性をそのまま、丸ごとすばらしいと思ってあげられることか ら、お互いの幸せな関係が生まれ始めたと学園長は語る。

例えば、「nui(ヌイ)プロジェクト」も驚異的な作品群を生み出すプロジェクトのひとつ。

以前は、利用者の人たちに、刺繍をまず直線で縫えるように指導していた。でも彼女達にはなかなか真直ぐに針を進めるということが難しい。指導者も利用者も お互い、それができないとこにいつも苦しみを感じてきた。ある女性がどうしても真直ぐ縫うことができないので「もうあなたは好きなようにやっていい」と自 由にさせてみたところ、絡み合った刺繍の上にさらに刺繍を重ね、とてつもなく奇怪で美しい作品が出来上がった。それは私達には想像することすらできない刺 繍であり、衝撃を与えた。それ以来、自由に布や糸を選び、やりたいように刺繍させるようになった。生まれてきた美しい刺繍の断片を拾い上げ、作品として仕 立て上げ、展覧会で紹介するのは学園のスタッフであり、作者本人たちは、完成した途端、興味を失うことが多い。彼らは、素材と戯れるその行為にのみ集中 し、結果には意味がないようだ。

彼らをみていると、目的や意図をもち、合理的計画的に行為する私達のあり方に疑問が浮かび始める。直線的にゴールへ向かおうとすることは、じつはそれほど 重要なことでもないのかもしれない・・・。直線も必要かもしれないけれど、全てが直線である必要はないし、自然界に直線は存在しない。人間だけが直線を生 んだのだ。直線も、ぐにゃぐにゃも、どちらもいい。どちらも尊重し共存できる社会が、成熟した社会といえるだろう。

しょうぶ学園では、この共存関係を積極的に実践し、訪れた人々を温かく迎え、居心地良い空気が常に流れる。
しょうぶ学園の一人一人のユニークな表情、ダイレクトなパワー、学園での日常、爆発する音楽や衝撃的な作品たちが、今までの私たち個人と社会のあり方に、小さな疑問符や大きな疑問符を投げかけてくれる。

茂木綾子/MOGI Ayako

special frends

2011年の春、友人の相澤久美が茂木綾子と僕をしょうぶ学園とotto&orabuのライブに招待してくれた。

ライブは、鹿児島市内のあるデパートの屋上で開かれた。コンサートが始まる直前、激しい雨が降り始めた。私は傘の下から、十数人の人々がステージに上がる のをみていた。半分弱は「普通」の人々、残りの半分強は、通常「ハンディキャップ」または「障がい者」と呼ばれる人たちだった。

私は自分自身を、多少偏見もありながらそれなりにオープンマインドな人間だと思っている。でも正直に言うと、ステージにいる「普通とは違う」外観を持つ彼らを観ることは、同情と好奇心が入り交じる感じがして、少し居心地が悪かった。

ところが彼らが二曲目を演奏する頃、踊りながら傘を振り回している自分に気がついた。その時感じたのは純粋な喜びだけで、身体中の細胞と魂がリズムと一体となっているのを感じた。

この瞬間に、これら「障がい」があるとされる人々と―ここからは、彼らを「スペシャル」な人々と呼ぶ事にしよう―時間を共有したい、映画を共につくりたい という強い願いが私の中に生まれた。それ以来、綾子と私は「しょうぶ学園」と呼ばれる鹿児島郊外にある彼らの居場所を訪れるようになった。100人ほどの 「スペシャル」な友達が50人程の「ノーマル」な友達と暮らしている。音楽を創り出すだけでなく、自由奔放な素晴らしい衣服をデザインし、彫刻や陶器、木工などユニークな芸術作品を創造し、パン屋やカフェ等を営みおいしい食事を提供している。

この作品は、私がこれまで世界中で出会った様々な人と共有したどんな作品よりも興味深い発展をし、訪ね続けることで私たちの気持ちも、カメラも、彼らにどんどん近づいていく実感があった。

映画製作のための資金など全く調達できていない時から撮影は始まっていたが、映画の素材が徐々に形になりつつある様を観る事は、真に感動的な冒険の連続だ。

この映画の映像体験が「ノーマル」と「スペシャル」の境界を超越し、私たちは「人」として日々なにを共有しているのか再確認することのできるような、そんな作品になったと思う。

ヴェルナー・ペンツェル/Werner Penzel

Director監督

茂木綾子/Ayako Mogi

1969年北海道生まれ。東京藝術大学デザイン科中退。92年キャノン写真新世紀荒木賞受賞。97年よりミュンヘン、06年よりスイスのラコルビエールに 暮らし、ジュパジュカンパニーを設立。多彩なアーティストを招待し、生活、製作、交流を実験的に行うプロジェクトを企画実施。09年淡路島へ移住し、アーティストコミュニティ「ノマド村」をヴェルナー・ペンツェルと共に立ち上げ、様々な活動を展開。06年、10年に雑誌『COYOTE』(スイッチ・パブリッシング)でフォトエッセイ「CARAVAN LOST」を連載。09年よりArt Gallery MISAKO & ROSEN所属。個展、グループ展など多数。13年写真集「travelling tree」を赤々舎から出版。映像・映画作品:『IN THE COUCH』ビデオ&フォトブック・TYOプロダクション(1996)、『SUITCASE BABY』60分カラービデオ・THISFILMプロダクション(2000)、『風にきく』57分カラー・THISFILMプロダクション( 2002)スイス二ヨン国際ドキュメンタリー映画祭特別賞・ミュンヘン国際ドキュメンタリー映画祭、台湾国際ドキュメンタリー映画祭出品・日本各地自主上 映会開催・DVD発売中、『FOR FAMILY』アサヒ・アート・フェスティバルビデオ作品製作(2004)、『島の色静かな声』75分カラービデオ・silent voice(2008)東京国際映画祭natural TIFF正式公開作品・ニヨン国際映画祭テンデンス部門出品・ドクフェストミュンヘン国際ドキュメンタリー映画祭出品・カナダモントリオール国際ドキュメンタリー映画祭出品・日本各地にて上 映会開催・DVD発売中

ヴェルナー・ペンツェル/Werner Penzel

1950年生まれ。ドイツ南部の地方で育つ。60年代後半は音楽と詩作に没頭、70年代初頭より映像制作を始める。ブラジルの劇団OFICINAと協働 し、ミュンヘン・フィルム・アカデミーで学ぶ。南米、北米、インド、日本等世界各地を旅する。06年スイスのラコルビエールに て、茂木綾子と共にジュパジュカンパニーを設立。多彩なアーティストを招待し、生活、製作、交流を実験的に行うプロジェクトを企画実施。09年淡路島へ移住し、アーティストコミュニティ「ノマド村」を茂木綾子と共に立ち上げ、様々な活動を展開。 映像・映画作品:『VAGABUNDEN KARAWANE』(1980)、『ADIOS AL ODIO』(1986) 他多数の映像作品を制作した後、87年にニコラス・ハンベルトと共に「CINE NOMAD」を設立。CINE NOMADの代表作品としては『STEP ACROSS THE BORDER』(1990)、『MIDDLE OF THE MOMENT』(1995)、『THREE WINDOWS』(1999)等がある。この他にも監督、脚本、 制作、撮影を手がけた作品が多数あり、ヨーロピアン・フィルム・アワードやドイツ・フィルム・アワードなど受賞歴も多い。

Theater上映履歴

地域劇場名主催公開日
大分アストくにさきマルチホール・武蔵保健福祉センター国民文化祭2018大分2018年11月16・17日
石川しいのき迎賓館しいのき緑地2018年11月3日
大分大分県立美術館NPO法人BEPPU PROJECT2018年11月3日
大分中津市教育福祉センター中津市障がい者等基幹相談支援センター2018年10月27日
高知喫茶メフィストフォレスゴトゴトシネマ2018年10月13〜14日
東京総合ケアコミュニティ・せせらぎむつみ工房2018年9月22日
東京日野市七生公会堂つながるシネマ2018年9月16日
山形KUGURU とんがりビル山形国際ドキュメンタリー映画祭(YIDFF)2018年9月14日
兵庫県水上村かわのほとりの美術館くらしのはなし暮譚2018年9月8日
東京都羽生市コミュニティセンター日の出町ユートピアひまわりホーム2018年7月1日
長崎県長崎市チトセピアホール長崎市チトセピアホール2018年6月30日
島根県海士町中央図書館2018年6月16日
新潟なり-nuttari NARI-なり-nuttari NARI-2018年3月25日・27日
長野原村歴史民俗資料館 八ヶ岳美術館原村歴史民俗資料館八ヶ岳美術館2018年3月11日
北海道鹿追町民ホールおびひろ自主上映の会2018年3月11日
広島広島市現代美術館広島市現代美術館2018年2月12日
東京ハイライフプラザいたばし一般社団法人東京都知的障害児者生活サポート協会2018年1月27日
長野佐久市近代美術館長野映研2018年1月27日
栃木ドライブイン茂木2017年12月29日
長野安曇野市豊科交流学習センター長野映研2017年12月9日
神奈川横浜市立港南台ひの特別支援学校つなぐプロジェクト縁実行委員会2017年12月2日
東京多摩美術大学 八王子キャンパス多摩美術大学2017年11月24日・12月8日
鹿児島障害者福祉施設なのはな園カケロマーケット2017年11月25日
宮城仙台市福祉プラザふれあいホール社会福祉法人なのはな会 なのはな後援会2017年11月6日
鳥取中山温泉生活想像館ええがな大山2017年10月21日
佐賀シアターシエマSaga Art Brut Supporters2017年10月8日
富山ほとり座ほとり座2017年9月2日~8日
愛知真宗大谷派名古屋別院真宗大谷派名古屋別院2017年9月3日
宮城フォーラム仙台2017年8月26日~9月8日
福島フォーラム福島2017年8月26日~9月1日
長野赤石商店赤石商店2017年8月26日・27日・31日
京都京都みなみ会館2017年6月10日~23日
大阪第七藝術劇場2017年5月27日~6月9日
富山LETTER2階アトリエセーベーNPO法人かもめのノート2017年6月4日
北海道ゆうばりはまなす会館ゆうばり自主上映実行委員会2017年3月31日
岩手三陸駒社かまめっちょの会2017年3月26日
大分下郷公民館下郷村2017年3月20日
北海道シアターキノ2017年3月17日・30日
山形フォーラム山形2017年2月18日〜24日
高知喫茶メフィストフォレスゴトゴトシネマ2017年2月11日・12日
神奈川文教大学文教大学2016年12月15日
宮崎宮崎キネマ館2016年11月26日〜12月2日
愛知名古屋シネマテーク2016年11月19日〜12月2日
新潟高田世界館2016年11月12日〜11月26日
群馬シネマテークたかさき2016年11月12日〜11月18日
岡山旧内山下小学校体育館内山下コモンズゲート2016年11月20日
岡山オリエント美術館岡山映画祭2016年11月5日
広島横川シネマ2016年11月1日~11月11日
神奈川アミューあつぎ映画.comシネマ2016年9月10日〜9月23日
大分シアターリベルテ2016年7月16日~
鹿児島ガーデンズシネマ2016年7月16日~
東京渋谷シアター・イメージフォーラム2016年7月2日~

Commentaryコメント

ミナ ペルホネン 皆川明

芸術という行為は、心の奥底で震えている命の鼓動の発散なのだと思う。その鼓動を心から外に出すためには、心の摩擦がないとても純粋な心の通り道が必要な気がする。 otto&orabuを初めて体感した時、僕はそんなことを感じた。 日頃の彼らは穏やかな佇まいであり、他者へも自己へも優しく素直な目を向けている。彼らと接していると、内側にある心と常に対峙し、観察して、そこに沸く感情と向き合っているのが伝わってくる。 演奏というアウトプットする瞬間に、その心との対話が解放され、喜びの感情とともにエネルギーとして放出されるのだろう。それを私達は同じく心で受け止め、感情が共振し、感動しているのだ。

シンガー/ボイスアーティスト おおたか静流

こんなふうに暮らしたい、
表現したい、
沢山の「あぁ、本当は・・・」のスイッチをONにしている居場所=しょうぶ学園。
たまらなく好きです!
この映画には、
ONの囁きが散りばめられています。
大好きです!

DEPARTMENTディレクター/デザイン活動家 ナガオカケンメイ

自分が発行している「d design travel」の鹿児島号でしょうぶ学園に出会いました。otto&orabuの練習を覗いたことがありますが、一番驚き、考えさせられたのは、彼らには「練習」という概念がほとんどないんだよ、という福森さんの一言でした。常に本番。常に全力・・・。その様子にまず感動しました。また、ひとりの園長の個性が施設やそこに集まるみんなを人間以上に人間にしている様子に、終始、笑顔と涙で試写を観ました。

映像ディレクター/映画監督 佐々木誠

シンプルに表現することは美しく、正直に生きることは最強だ。 それを飄々と実践している本作の被写体はもちろん、作り手にも羨望の念を覚えた。

ドラァグクイーン/映画評論家 ヴィヴィアン佐藤

削りだされた木屑。マリンバやシンバルから出でた不意な音。口から漏れだした声。。。偶然に、突発的に、世の中に誕生したものたちは、美しい。恣意性がなく、神様が作ったものそのものだ。すべてのものは理由もなく産み落とされている。すべては祝福されているのだ。

ファッションデザイナー/アーティスト 津村耕佑

私達は、幼い頃から物事をどの様に理解し表現すれば良いかを親や友人、教師を通じて学び、 ある人は大胆に、ある人は慎重に、社会の扉をノックしてきたと思います。 この映画を観ていると別の扉をノックしてみたくなり何故かワクワクしてきます。

音楽家/映像作家 高木正勝

僕たちは、人という生きものが持っている力を、あまりうまく使えていないのではないだろうか? しょうぶ学園の皆さんと出会う度にそう思います。 この映画を観ているうちに、皆さんが野生の生きもののように思えてきて、とても羨ましくなりました。 その野生は、僕たちが日々、このこんがらがった社会で生きていくなかで、少しずつ少しずつ抑えてきた、僕たちの魂の衝動で。 それは、とても素直な憧れで、 ああ、わたしが笑いたいようにわたしを笑わせてあげたい(顔をほころばして)、躰が動きたいようにわたしを動かせてあげたい(コントロールするのを諦めて)、わたしが優しくしたいようにさせてあげたい(心やすく)、どんなに楽しい毎日だろう。

GOOD NEIGHBORS JAMBOREE主宰 / DOUBLE FAMOUS 坂口 修一郎さん

僕は鹿児島で障がい者施設を営む家に育ちましたが、結局家業は継がず東京で根無し草のような違和感を感じながら音楽の仕事を続けていました。そんな頃出会ったしょうぶ学園の活動に天地が逆転してしまうような感覚を持ったことは今も忘れることができません。興奮と共に僕の違和感など吹き飛んでしまい、彼らといっしょに歩きだそうと決めるのに悩む時間は1秒もありませんでした。
中心メンバーであるottoの演奏は、そもそも誰かに見てもらうためでもないどころか上手に見せようというあざとさもない。彼らはただただ音を出す楽しさのためだけに音楽に接しています。このはじめて楽器に触れる子どものような、音に対する根源的な姿勢をキープすることはプロの音楽家にも難しい。それが観るものを惹きつけ、音とともに自然と身体を動かしてしまう要因だと思います。
この魅力をもっと多くの人に伝えたい。そう考えた時が僕が鹿児島で立ち上げたイベント、グッドネイバーズ・ジャンボリー(GNJ)の、その時点までぼんやりしていた構想が具体化した瞬間でした。あらゆる人々がフラットに交流するフェスティバル。彼らとの出会いに触発されてGNJは明確なコンセプトのあるプロジェクトになっていったのです。
この素晴らしいフィルムを見て思ったのは、僕らがそうであったようにしょうぶ学園との邂逅が、作家に筋書きやコンセプトを超えた作品を撮らせてしまったのではないかということです。しょうぶ学園の人々の作品には、人をしてそのように動かしてしまう力があります。そして、アーティスト同士のこの関係はとても幸福なものだと思うのです。

Production Noteプロダクションノート

タンチョウヅルのように美しい

多少矛盾した言い方になるが、茂木綾子とヴェルナー・ペンツェルの映画「幸福は日々の中に。」は、SHOBU STYLEの日々をあまりにも普通に映し出したために、普通ではない映画になってしまった。

SHOBU STYLEは鹿児島市吉野町に実在する障がい者福祉施設だ。障がいを持ち、普通の社会では生きられないとされる人々がここに住み、あるいは通う。つまりここは、普通の場所ではない。ところがここでは、人も木も犬もロバもヒツジもみんなが輝き、この上なくいきいきと生きている。こんな姿を見せられたら、誰だって、いったい「普通」とはなんなのか、自問せざるをえなくなる。障がい者とか健常者という区分ではなく、それぞれがかけがえのない個性であると尊重し、協働することの可能性を、ここまで強く感じたことはない。

それにしてもみんな、表情が素敵だなあ。この映画ではotto & orabuを中心にSHOBU STYLEの多様な表現活動が映し出されていくが、そのすべてで、表現が生きることと切り離されていない。
タンチョウヅルの美しい求愛のダンスは、私たちの芸術のシステムを前提としたものではない。生きものは、そして人は、なぜ表現するのかという解けない謎が、画面のなかからそっと立ち現れてくるように思う。

芹沢高志 P3 art and environment 統括ディレクター/silent voice 共同プロデューサー